「人のため」とかいいつつ「自分のため」だった
「今まで誰にも話したことがないんだけど・・・」
「あなただから言うんだけど・・・」
から始まる打ち明け話をされることが、ちょくちょくある。
夢や将来の展望について話す人
家族の病気について話す人
仕事の愚痴をこぼす人
辛かった過去や現在進行形の痛みを話す人
実際、ほんとにその話をする初めての相手が私なのかは分からない。
私に「あなたは特別」っていう感情を植えつけたくてそういうフレーズを使う人もいるのかもしれない。
いずれにしても「聞いてほしい」っていう気持ちは、全員に共通していることなんだと思う。
だけど中には「この人ほんとうに誰にも言えなかったんだろうな」っていう人がいる。
たくさん辛い想いをして
たくさん蓋をして
たくさん溜め込んで
全てに心を閉ざして
前は、そういった人の話を、毎日何時間も聴き続けていた。
その人が話したいだけ、話を聞いて、そばにいた。
だけど、私の行為は、その人のためになっていたのかどうか分からない。
高校生の頃、ある女の子が辛い経験をしていて、それこそ何時間も毎日話を聞いて、何度も励まして、否定せずになんでも受け入れて、その子が少しでも楽になるならと手を尽くしていたことがあった。しばらくしてその子は高校を辞め、県外に引っ越したので、私たちは疎遠になった。
数年経って、偶然お互いの就職先が近いことがわかり、たまにお茶をしたりご飯を食べにいったりしていた。
ある日、高校の同級生数名で飲むことになった。私と、その子も来ていた。
酔った勢いでその女の子は私に「うち今精神科に通っててすごいその先生があったかくて包容力があるんだけど、koccoってさ、なんていうか、人を受け入れるだけの器がないと思うんだよね。」と、同級生全員の前で公開処刑された(笑)
ついでに、それこそ、その子の気が楽になるならと話していた私自身の辛かったことも、その場で全部ぶちまけられた。私は絶句し、飲み会の席は一気に冷めた。
そのときは、怒りを通り越して呆れた。
こいつ、ほんっとに、ふざけんなよ、と思った。
あんたと一緒に過ごしてた時期、こっちは受験生だったんだぞ。
あんたにどんだけ時間と心を割いたかわかってんの?
何百人も患者を診てきていろんな話を聞いてきた方と比べられても正直困るんだわ。
どんだけ人のことなめくさってんだよ。
って思った。
でも、今考えると、私は人の役に立つことで自分の存在価値を証明したかったのかもしれない。どんな形であれ、自分が誰かに必要とされていることが、嬉しかったのかもしれない。誰かを、何かを救いたいと思っていた。
誰一人として、私は救うことができないのに。
その人の人生に責任を負うことができるのは本人だけなんだから。
当事者にしか、人生は変えられない。
私には、手助けくらいしか、できない。
そして、まず救うべきは、自分自身だったのに。
自分を大事にするんだって決めてから、驚くほど、自分が自分を大事にしてこなかったことに気がついた。
今、人と接するときに意識しているのは、「愛情の50%は常に自分自身のためにセーブしておく」ということ。
相手に与えすぎないようにすること、とも言える。
愛情は、注げば注ぐほど、湧き出てくるものだと私は勘違いしていた。
でも、注ぎすぎてしまうと、私が空っぽになってしまう。
愛情は、注いでいるだけだと、枯渇してしまうものなんだ。
だから、自分で自分を愛したり、周りからの愛を素直に受け取る、ということが
どうやら大事なようで。(この辺はまだまだ実践中。)
どんどん、愛を循環させていきたいな。