失敗してもいいぶろぐ

自己開示がへたな管理人koccoが「失敗してもいいや〜笑」というスタンスで日常や学びを書き連ねていくチャレンジぶろぐ

「人のため」とかいいつつ「自分のため」だった

「今まで誰にも話したことがないんだけど・・・」

「あなただから言うんだけど・・・」

から始まる打ち明け話をされることが、ちょくちょくある。

 

夢や将来の展望について話す人

家族の病気について話す人

仕事の愚痴をこぼす人

辛かった過去や現在進行形の痛みを話す人

 

実際、ほんとにその話をする初めての相手が私なのかは分からない。

私に「あなたは特別」っていう感情を植えつけたくてそういうフレーズを使う人もいるのかもしれない。

 

いずれにしても「聞いてほしい」っていう気持ちは、全員に共通していることなんだと思う。

 

だけど中には「この人ほんとうに誰にも言えなかったんだろうな」っていう人がいる。

 

たくさん辛い想いをして

たくさん蓋をして

たくさん溜め込んで

全てに心を閉ざして

 

前は、そういった人の話を、毎日何時間も聴き続けていた。

その人が話したいだけ、話を聞いて、そばにいた。

 

だけど、私の行為は、その人のためになっていたのかどうか分からない。

 

高校生の頃、ある女の子が辛い経験をしていて、それこそ何時間も毎日話を聞いて、何度も励まして、否定せずになんでも受け入れて、その子が少しでも楽になるならと手を尽くしていたことがあった。しばらくしてその子は高校を辞め、県外に引っ越したので、私たちは疎遠になった。

 

数年経って、偶然お互いの就職先が近いことがわかり、たまにお茶をしたりご飯を食べにいったりしていた。

 

ある日、高校の同級生数名で飲むことになった。私と、その子も来ていた。

 

酔った勢いでその女の子は私に「うち今精神科に通っててすごいその先生があったかくて包容力があるんだけど、koccoってさ、なんていうか、人を受け入れるだけの器がないと思うんだよね。」と、同級生全員の前で公開処刑された(笑)

ついでに、それこそ、その子の気が楽になるならと話していた私自身の辛かったことも、その場で全部ぶちまけられた。私は絶句し、飲み会の席は一気に冷めた。

 

そのときは、怒りを通り越して呆れた。

 

こいつ、ほんっとに、ふざけんなよ、と思った。

 

あんたと一緒に過ごしてた時期、こっちは受験生だったんだぞ。

あんたにどんだけ時間と心を割いたかわかってんの?

悪いけど、私、精神科医でも臨床心理士でもないんだ。

何百人も患者を診てきていろんな話を聞いてきた方と比べられても正直困るんだわ。

どんだけ人のことなめくさってんだよ。

 

って思った。

 

でも、今考えると、私は人の役に立つことで自分の存在価値を証明したかったのかもしれない。どんな形であれ、自分が誰かに必要とされていることが、嬉しかったのかもしれない。誰かを、何かを救いたいと思っていた。

 

誰一人として、私は救うことができないのに。

その人の人生に責任を負うことができるのは本人だけなんだから。

当事者にしか、人生は変えられない。

私には、手助けくらいしか、できない。

 

 

そして、まず救うべきは、自分自身だったのに。

 

自分を大事にするんだって決めてから、驚くほど、自分が自分を大事にしてこなかったことに気がついた。

 

今、人と接するときに意識しているのは、「愛情の50%は常に自分自身のためにセーブしておく」ということ。

 

相手に与えすぎないようにすること、とも言える。

 

愛情は、注げば注ぐほど、湧き出てくるものだと私は勘違いしていた。

でも、注ぎすぎてしまうと、私が空っぽになってしまう。

愛情は、注いでいるだけだと、枯渇してしまうものなんだ。

 

だから、自分で自分を愛したり、周りからの愛を素直に受け取る、ということが

どうやら大事なようで。(この辺はまだまだ実践中。)

 

どんどん、愛を循環させていきたいな。

子どもを産む/喜びにフォーカスする

子どもはとってもかわいい。

 

だけど、私はまだ「子どもを産みたい」と思うことができない

 

それは、自分の子どもが私と同じように傷つき苦しむことを私自身が恐れているから。

 

というか、私自身が人生に喜びを見いだせていないのだ。

 

「生きることって素晴らしいんだよ」

「楽しいんだよ」

「傷ついても生き続けて。

だって、この世界や人生ってそのくらい価値のあるものなんだよ」

 

自分がまだそう思えていないから、命をこの世に送り出すことに抵抗があるのだ

 

子どもを産むなら

「この世界で遊んでおいでね^^」

という気持ちとともに産みたいのだ

 

「この世に生まれてきてよかった」

「産んでくれてありがとう」

 

心の底からその気持ちを抱けるようになって

自分の親にもその言葉を伝えたい

本気でそう思えない限りは

「産んでくれてありがとう」なんて嘘は言わない

 

私にとってはそれが親に対する最大限の「誠実さ」なのだ

 

 

最近は、「今ここにある喜び」にフォーカスすることから始めている

 

人生の喜びに気付きたい

 

生きる喜びをしりたい

 

痛みや悲しみにばかり目を向けていた自分を手放すんだ

 

変わりたいんだ

 

変わるんだ

 

変われるんだ

 

喜びに気づくんだ

 

 

反応した言葉 メモ

「共通の悲しみこそ相互の理解を深めるもの」

・・・ケーテ・コルビッツ

 

「自らの生を汚しうる最大の不道徳、それは怠惰と無関心」

・・・ジョルジュ・サンド

 

「人はどう言おうとあくまで自分自身を大切にしていこう」

・・・紫式部

 

「悲しみが喜びをもたらすことはありませんが、その知恵は幸福をもたらすことができる」

・・・パール・バック

 

「何をすべきかわかっていさえすれば、恐れることなど何もない」

・・・ローザ・パークス

 

「先生は私の身体的弱さに合わせて教えるのではなく、教えようとする高みへと、私の精神の強さを引き上げてくださった」

・・・ヘレン・ケラー、サリバン先生へ

 

「本当の勇気とは見返りも賞讃も求めずに未来を信じ続けること」

・・・ヘンダーソン博士

 

「幸福とは千の苦悩で傷ついても、最後に精神と魂の中に花を見出す者のこと」

・・・ナワイー

 

「母は、強い意志をもって自分の尊厳を守ることを教えてくれた」

・・・ローザ・パークス

 

「気を落としてはいけません」

「うなだれていたって何にもなりゃしません」

「人生のたたかいに強くなれ」

・・・アンデルセン

 

「思想は大砲よりも永続する城砦です」

・・・ロマン・ロラン

 

「未来をつくる仕事に喜びを見出し、これこそ私の仕事であると確信すれば人生は全ての段階で楽しむことができる」

・・・ワーターカーン

コロコロ

もうすぐ1年くらいになるのかなあ

 

既婚者に片想いをしていて

好きな人に私の気持ちを隠すつもりはなくて

私の気持ちに彼は多分気付いていて

ちょこちょこ思わせぶりな言動をとる

 

奥さんから彼を奪う気なんてさらさらなくて

むしろ奥さんとの仲の良いエピソードを聞くととても嬉しくなる

彼が奥さんと幸せな時間を過ごしているということだから

彼を幸せにできる奥さんってすごいなあって思うから

 

でも、結局私は彼とどうなりたいんだろうって考えて

 

結婚しているという事実を知っているから

自分の「好き」という気持ちにストッパーをかけているきらいはある

 

でもストッパーがかけられるくらい余裕のある「好き」って何だ?

 

 

前の彼氏とお別れをしたとき、私は今後、お付き合いをする人は自分で選ぶと決めた

 

特に好きでもないけど、何度も告白されて、「じゃあ付き合ってみようかなあ」って軽い気持ちで付き合って、告白してきた相手のことを好きになろうと努力するんだけど結局心の奥底から愛せない。

 

私の、よくあるパターン

 

そんなの馬鹿みたいじゃないか

エネルギーと時間の無駄じゃないか

 

だから、次に付き合うときには、心の底から愛しあえる人と時間を共にしたい

そう思っている

 

翻って、今の私は......

 

正直、恋愛というものに疲れてしまっている

 

最近毎日のように「入籍しました」「結婚式を挙げました」等のニュースがFacebookを介して私の元に舞い込んでくる。

結婚適齢期だからね笑)

 

素直に「おお!おめでとう」って思う

 

 

 

 

 

それでも、私も結婚したい、なんてこれっぽっちも思えない

 

結婚と幸せをどうしても結びつけることができない

 

今は、そう

 

彼との関係も、彼の手の平の上で

コロコロ転がされているような

転がされながらも常に

私自身どこか冷めた気持ちを抱いているような

 

そのくらいの温度感が、なんだかんだ今の私にはちょうどいいのかもしれない

 

私か彼、どちらかの居心地が悪くなれば今のこの関係も終わってしまうだろう

お互い踏み込むのか、それとも自然消滅か

 

正直今は、どちらでもいい

 

この先、彼以上に「好き」だと思える人が見つかれば

また変わるのかも知れないけれど

 

 

 

抗生剤

 koccoは小さな離島の出身で、大学に進学するために上京し、通算6年くらい東京で一人暮らしをしました。が、今年になって、体調の悪さがピークに達したので、療養するために地元に戻り、少しお休みをしながら保育園でお仕事をしています。

 

 療養する!休む!と決めたからといってすぐに体調が元に戻るわけでも無く、体力と免疫力が落ちた体は、すぐにさまざまな最近やウイルスにやられ、回復も長引いてしまいます。

 

 今回は、風邪の症状が1ヶ月以上続いたあと、咽頭炎と気管支炎になってしまいました><お医者さんによると、気管にばい菌がべったり張り付いているとのこと。

(やーね〜)

 

 「ばい菌を殺すために」と抗生剤を処方されたのですが、koccoは以前抗生剤を飲んでアレルギー反応(じんましんなど)が出たので、それ以来医師が抗生剤を処方しようとするときには必ず「すいません、抗生剤でアレルギーが出たことがあるんですけど...」と言うようにしていました。

 

 しかし抗生剤にもさまざまな種類があるようで、「何ていう名前の抗生剤?」なんて聞かれても何年も前のことで全く覚えておらず...

 

結局今回は抗生剤を処方してもらうことにしました。

 

 試しに飲んでみたところ、頭痛や倦怠感、胸や気管支の痛みや異音など、驚くほど早く楽になりました。

 

 しかし、しばらくするとお腹がゆるくなり、じんましんも出てきて最後には嘔吐までしてしまいました><

 

 体のばい菌には早く出て行って欲しいけど、やっぱり抗生剤は私には強すぎるのかなあ〜><

 

  お薬との上手な付き合い方を長年模索中です。

 

 早く元気になって、思いっきり好きな仕事して勉強して遊びたいなあ〜

 

 

かわいい子たち^^

保育園で働いていると

とってもかわいい癒される出来事に遭遇します^^

 

最近お話が上手になってきたAちゃん。

そんなAちゃんの最近のお気に入りのフレーズは

「あなた?」

「おかあさま!」

どっからこんなお上品な言葉を仕入れてきたのでしょう笑

 

甘えん坊でやきもちやきのMちゃん。

齢2歳にして類稀に見るちゅーマスター!

koccoのほっぺたにキスマークができる勢いでちゅー!!したり

マスクをしているkoccoの両腕がふさがっているときに

おひざの上にのってきて

マスクをさげて

koccoの唇を奪い

元どおりマスクをもどし

「Mね〜kocco大好き!えへ♡」

とか言っちゃう

 

もーね、かわい過ぎか笑

てゆーかどこでそんなテク覚えたのよ笑

 

最後はこの7月に1歳になったIちゃん

koccoのことをお気に入り保育士に設定してくれていて

(koccoが担当保育士だったこともあり)

koccoが他の子をぎゅ〜っとしているのを見ると

やきもちをやいて泣き出し、遠くからでもずりばいで寄ってきて

抱っこしている子を押しのけてひざによじ登ります笑

(特定の保育士への後追いはよく見られることでそのうち無くなります)

ああ、かわいい^^

 

 

保育士のお仕事はもちろん「かわいい」だけではやっていけませんが、

「こどもが好き」「かわいい」

という感情はとても大事だなあと思います^^

 

苦しいときの言葉

ものすごく苦しいときや

死と隣り合わせだったときに

 

ひねり出したり

絞り出したりして

紡いでいた言葉って

 

今では考えられないくらい

感情が伴っていて

説得力があって

キレッキレ

 

昔の日記を読み直してみた今の感想。

 

 

 

生きているのが辛い

 

そういう想いで溢れているけど

たまに飛び抜けて光っている言葉がある

 

自分の軌跡を綴るのって大事だなあ